赤色立体地図weblog

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1.4 火山災害(25ページ)

建設計画と地形・地質 地形地質の見方 原稿作成のための整理
図はモノクロになる

1.4.0 火山災害とは


火山噴火

火山噴火は、火山の地下数キロにあるマグマだまりからマグマが地上に移動する現象である。火口から地上にもたらされるものは、その物性によってさまざまな範囲に影響を及ぼす。その種類ごとに特徴があるので、分類して整理する。
マグマは、地下にあるときは高温高圧であり、内部に水や二酸化炭素などの揮発性成分を溶かし込んでいる。地上付近まで上昇してくると、減圧によって急激に発泡し、爆発的な噴火となることが多い。粉砕され2ミリ以下まで細粒化したものは火山灰と呼ばれる、火口の上空、大気圏から成層圏に至る範囲に吹き上げられ、風に乗って遠方に到達する。影響範囲は、風下側に限られる。
マグマが揮発性成分を失い、爆発力が弱くなったものが直接地上を流れたものが溶岩流である。シリカ分に乏しいものほど、液体となるためには高温が必要で、液体は粘性が低い傾向がある。一方、シリカ分が富むにつれマグマは、より低温で液体となり、粘性もより高くなる。極端に粘性が高い場合には、火口の真上に積みあがる場合があり、溶岩円頂丘と呼ばれる。
粘性が高いマグマは、揮発性成分が抜けにくく、地上に到達しても高い割合で揮発性成分を含むことがある。このような自爆性の高い溶岩円頂丘が成長中に崩壊した場合、自爆の連鎖を引き起こし火砕流に発達することが多い。なお、火口上空に上昇した噴煙柱が崩壊して火砕流となる場合もある。
マグマ中の揮発性成分を火山ガスと呼ぶ。大部分は水蒸気であるが、二酸化炭素や亜硫酸ガス、硫化水素、フッ素など有毒な成分を含む場合もある。
このような噴火を繰り返し、火山は火口の上に円錐形の火山体を形成する。これは、脆弱な基盤の上に高く積みあがったり、高温の火山ガスや熱水にさらされて内部が粘土化することが多い。そのため、火山噴火や地震をトリガーとして、山体の大部分が馬蹄形に崩れ落ちることがある。これを山体崩壊と呼び、その堆積物を岩屑なだれと呼ぶ。
また、地上に到達する前に地下で上昇を中断し、潜在円頂丘とよぶ。このような岩体の真上や周辺の地盤は大きく傾いたり、断層を生じることがあり、いわゆる地殻変動である。
火山噴火によって降下した火山灰は、あらゆる地形を同じ厚さで覆う。特に斜面に堆積した場合不安定であり、降雨などによって土石流や泥流となって火山の山麓の広い範囲に被害をもたらすことがある。これは火山噴火直後から、降雨のたびに繰り返えされることが多いので二次泥流ともよばれる。


火山噴火の規模と火山災害

噴火に伴う土砂移動現象が、人間社会に影響を与えた場合に、はじめて「火山災害と」呼ぶ。噴火のきっかけは、破壊現象であるためになか予測は難しい。火山災害は、発生のタイミングが事前にはわからないという点で地震に似ており、影響範囲は洪水と類似している。また、日本には110の活火山があり、49の観測強化火山がある。想定される火山災害の性質は、火山ごとに大幅に異なり、地下のマグマの性質や火口の位置や周辺の地形によって大きく異なる。火山災害は、他の自然災害に比べれば、発生の頻度が低く、影響範囲も狭い。そのため、土地の有効利用はおこないつつも、防災対策としてハザードアップを作成することが多い。ハザードマップは、過去におこった現象は将来も繰り返すという前提に立って作成される。しかしながら、火山活動は周期的ではなく、そのインターバルは非常に長い。また、高頻度小規模の噴火から、低頻度大規模の噴火まで、さまざまな現象があり、低頻度大噴火に対しての社会的な対応が難しい。以下に具体的な現象ごとに詳しく見ていきたい。


1.4.1 降下火砕物

定義

幾何学
火山噴火による降下火砕物のうち、粒径が2ミリ以下のものをすべて火山灰と呼ぶ。灰といっても、高温のマグマが急冷してできたガラスや結晶の破片、岩片からなる。粒径が2ミリ以上で、気泡を多く含む場合、白っぽいものを軽石、黒っぽいものをスコリアと呼ぶ。気泡が少ない場合はラピリと呼ぶ。また、サイズが ミリ以上で形が整っているとき、火山弾と呼ぶ。
なお、マグマの飛沫がそのまま固まった、発泡が良く不定形のものは特にスパッターと呼ぶ。スパッターは、高温酸化により赤色を呈したり、落下堆積後に再度癒着して溶結火砕岩となったり、さらに溶岩流のように重力方向に移動することもある。

写真1 桜島南岳B火口の小規模噴火
2000年1月8日千葉撮影)

サイズによる分類 火山灰 火山砕屑物 
形状と色による分類 スパッター 火山弾 スコリア 軽石
サイズと風の影響 弾道と落下速度 終端速度

このような降下火山灰が、風成層として堆積後
風化による問題 関東ローム層 レス
また、火山地域には、特殊土とよばれる地盤があり、関東ローム層、シラスなど、施工上の問題となることがある。

災害要因

火山灰による被害は、厚さとサイズによって大きく異なる。
また、被害を受ける施設が、住宅や、交通機関

厚ければ 屋根の崩落
桜島の事例などから経験的に土石流発生は10cm程度必要と言われているが
三宅島の200/7/14噴火では、硫酸ミストを含んだ火山灰と水蒸気が反応し、火山豆石を多く含んだ火山灰が堆積した
この火山灰には石膏が生じて、降水反応するなど透水性がほとんど0になったために
厚さ1cm程度でも表面流が発生し、下流で土石流が発生した
その後に発生した新燃え岳噴火では、風下側で数センチの堆積があった。
そこで土石流の警戒が行われたが、実際には、被害をもたらすような土石流はほとんど発生しなかった。
火山灰の性質によって大きく変化することを学んだ。


薄くても 健康被害
火山灰による農業被害

細粒火山灰の付着による農業被害
三宅島 有珠山




火口から上空に噴き上げられた火山灰は、その時の風向と風速によって、どの付近まで到達するのかがきまる。細粒なものほ空気抵抗の影響を受けるので、落下速度が小さくなる。したがって、火口からの距離と降下火砕物の粒径との関係は、遠方ほど細粒火山灰が分布することになる。

なんとか火山灰層と呼ぶときには、必ずしも2ミリ以下の粒子だけに限らないことに注意
ローム層とは
レスとは

fall flow surge

降下火砕物は 地表面を同じ厚さで覆うように堆積する
流れの堆積物は谷を埋めるように堆積する
サージは 谷に厚いが尾根にも薄く分布する


伊豆大島の古期大島層群地層大切断面の例
 

事例

宝永噴火

**

・富士山1707年噴火では、宝永火口から0.7㎞3kmの降下火砕物が放出され、富士山の須走では3mもの厚さで堆積した。
関東ローム層


1.4.2 火砕流

火砕流には溶岩ドーム崩壊型のものと噴煙柱崩壊型のものがある

三宅島2000年噴火での火砕流

三宅島西方1㎞で7月26日の小規模な海底噴火のあと、7月8日に島の中央部の雄山で小規模噴火、その時から崩壊を開始し、7月21日日は深さ450m直径1.5kmのカルデラに成長した。マグマ水蒸気爆発というタイプで、本質物質は黒色のパン皮状火山弾として認められた。噴煙柱は浮力が十分ないために、上昇中に崩壊してカルデラ内に落下、さらに溢れ出したものの一部が火砕流となって、横方向に流下した。速度は分速1キロ程度とゆっくりしたものであった。

写真2 三宅島2000年噴火で発生した、噴煙柱崩壊型の低温火砕流
2000年8月29日三宅高校グラウンドより千葉達朗撮影



1.4.3 溶岩流

 一般に、玄武岩質溶岩流の表面形状に従い、パホイホイ溶岩、アア溶岩および塊状溶岩の3種に分類される。
3種類の溶岩内部構造を図 に模式的に示す。)

マクドナルドの分類


 玄武岩質溶岩が地表に噴出して間もない時期は高温であり、含まれるガス成分の量も多いので粘性が低く、パホイホイ溶岩を生じやすい。溶岩噴泉の基底部から流出するパホイホイ溶岩流はきわめて薄く、多くは2m以下の厚さで板状で波のようにうねり、表面は滑らかである。玄武岩質の溶岩の温度がさらに低下すると溶岩の表面は小さなとげが密集した粗い凹凸に富んだ状態になる。同時に、直径数cmくらいの団塊(クリンカー)が多量に生じて溶岩流全体をスッポリ覆ってしまう。これがアア溶岩である。さらに温度が低下し粘性が増大すると、溶岩流の表面を覆う岩塊は大型(径数十Cm以上)になり、また平滑な破断面で囲まれた多面体の形をとるようになる。これは塊状(ブロック)溶岩とよばれる。塊状溶岩は玄武岩質の溶岩流には少なく、安山岩質、デイサイト質、流紋岩質のものに最もふつうにみられる。これらのタイ’プの溶岩流ははっきりと区分されるものではなく、互いに漸移することが多い。最近のわが国の代表的な溶岩流災害は、1914年の桜島大正噴火、1983年の三宅島噴火(写真2−4−3)、1986年の伊豆大島の噴火などがある。溶岩流は比較的ゆっくり流下するため、避難することが可能で、過去にも大きな人的被害は出ていない。 溶岩流は、溶岩の化学組成や温度、流下場所の地形によって流れの形態や速度が変わります.
SiO2の含まれる割合が少ない場合ほど高温で粘性が低い溶岩流となります。
流量が一定の場合流下中に傾斜が急な場合は幅が狭くなり、傾斜が緩くなると幅が広がりゆっくり流れます
傾斜によって流速が変化した場合、追突の構造や引っ張り構造が表面に現れます
先端部のほうが流速が小さい場合は追突による溶岩じわが形成されます
一方先端部ほど流速が早い場合には、横断方向に溶岩亀裂が形成されます。亀裂は上流側に弓なりに凸となります
表面形態から、パホイホイ溶岩、アア溶岩、ブロック溶岩に分類されることがあります.

溶岩流によって甚大な被害が予想される場合、
人工的に堰き止めたり流路を変えたり冷却したりして、災害を軽減することが試みられています.
流路は地形に従うので、溝を掘ったり、堤防を築いたりして流れを安全な方向に導く方法がとられます.
しかしながら、溶岩流が迫り来る中での工事は危険が伴い、流向きも定まらないことがあり、なかなか困難です
(1)アイスランドの例 港の入り口が堰き止められると島の経済が成り立たなくなるために、米軍の協力も得て、大規模な放水が行われました
(2)イタリアの例 エトナ火山の噴火では、スキー場のすぐ近くに加工ができたため、溶岩流が来るのを防ぐために 
   ブルドーザーで堤防を作りました
(3)ハワイ ヒロ 爆弾投下 あまり効果がなかった
日本でも 三宅島1983年噴火で阿古で放水が行われています
ハワイのkirauea火山の噴火では溶岩流が家に迫ったために
大量の水をかけ守った例が知られています


溶岩流の速度は数キロから数十キロ程度で、走って逃げられる程度である。

しかし、コンゴの 山の噴火では、溶岩湖の底が抜け一気に大量の薄い溶岩流が航測度でゴアの町を襲った
溶岩流の対策は

伊豆大島1986年溶岩
LC溶岩 元町まで200m 停止
その後 2013年度に完成 よく年台風災害 土石流が発生したが 大きな被害はなかった



伊豆大島の溶岩導流堤


1.4.4 火山ガス

写真3 三宅島2000年噴火で発生した、火山ガスの被害
2005年8月 千葉達朗撮影

写真3 植生の被害状況。7月の火山灰とその後の火山ガスによって大きく変色している


1.4.5 岩屑なだれ(山体崩壊

火山は不安定な基盤上に大きく高く成長したり
成長後に内部が熱水変質するなどして不安定になったり
することがある
火山噴火や地震などをトリガーにして、大きく崩れることがある。
山頂部も含んで大きく崩壊した際には、馬蹄形のカルデラ地形が残される
日本国内では、鳥海山有珠山浅間山眉山などでみられる
また、山体の一部が崩壊するだけでも甚大な被害が出る
1982年長野県西部地震では、御嶽山の一部が崩壊し、 川沿いに10km

図 鳥海山の馬蹄形カルデラと岩屑なだれの流山地形

図 眉山山体崩壊と流れ山・熊本との位置関係


1.4.6 地殻変動


1.4.7 噴石・空振

弾道を描いて落下する
桜島のIAVCEIの巡検の写真
桜島の赤い写真を交渉する
火山弾の写真は 御嶽のものか イマサキのものか 
落下後に膨らむことをいう
新燃岳


1.4.8 泥流・土石流

火山噴火の際に、泥流や土石流が発生する場合がある
融雪型の火山泥流と火口湖溢流型である
また、火山噴火後、火砕流や火山灰の堆積した山地では斜面上に不安定土砂が増加し
降雨の際に泥流や土石流が発生する
雲仙岳1991年の噴火では6月3日と8日に規模の大きな火砕流は発生し
6月30日の雨では土石流が発生した
水無川の本流は火砕流で埋め立てられていたために
川は大きくそれ断層沿いの低地を流れた

宝永噴火後の土石流
1978年有珠山の泥流
三宅島の土石流

伊豆大島の2013年の台風災害は 1777年の降下火山灰層が表層崩壊を起こしたのが
原因であった
それは、降下火山灰の2次災害と言える
同様の災害は 富士山の宝永スコリアが 2009年の台風で
静岡県の小山町内で2次移動を行った
噴火を終えてから200〜300年後に発生した
このような土砂災害も2次災害に含めるべきなのであろう

図 泥流と土石流堆積物


噴火様式の話がない
 マグマ噴火 マグマ水蒸気噴火 水@蒸気噴火
軽石が浮く話 土質的には興味深い
桜島のボラ対策
特殊土のこと
 シラス台地 シラスドリーネ
 八戸の液状化 御嶽崩壊と液状化 チキソトロピック

日本第四紀学会賞受賞記念講演会

第四紀通信 原稿(案)印刷されました
2014年2月2日、日本大学文理学部3号館において、日本第四紀学会賞受賞者講演会が行われた。講演者は、岩田修二先生(首都大学東京名誉教授)、陶野郁雄先生(山形大学名誉教授)であった。
「土の四方山話、理学・工学それとも理工学」陶野郁雄
陶野郁雄先生は、東工大の助手をかわきりに、公害研究所(現:環境省環境研究所)の地盤沈下研究室の室長として21年間勤務され、その後山形大学理学部の教授を勤められた。ここでは、当日の講演の一部と、現地調査でのエピソードを紹介したい。

講演から

今日では常識的であるが、陶野先生は、土の性質は同じ粒度組成でも年代とともに間隙比が変化するということについて、はじめて定量的な関係を明らかにした。この業績により、年代と粒径がわかれば、ある程度の物性を推定できることになった。


図1 地質年代と間隙比の関係
また、新潟県六日町など、長期間の地下水の揚水量と地盤沈下量の関係について測定整理し、融雪のための地下水使用が地盤沈下の原因であることを証明した。また、自動繰り返し圧密試験装置を使用して実験を行い、そのメカニズムを明らかにした。

図2 地下水のくみ上げ量と地盤沈下の関係1)
陶野先生は、地盤工学の世界に第四紀的な見方を紹介するとともに、第四紀学の世界に工学的な見方を紹介してくれた先生である。

陶野先生との出会い

陶野先生は、地震時発生直後の機動的な現地調査の草分けでもある。地震が起きる前から、車に積み込む持ち物から連絡先まで細かい調査マニュアルを作成するなど、何事においても準備を徹底していた。
1983年日本海中部地震の後、第四紀学会で陶野先生の緊急現地調査の講演があった。津軽半島車力村のパラボラ砂丘の内部で直径7mの巨大な噴砂孔が形成され、噴砂は電柱の高さ近くまで吹き上げたのだと言う。


図3 車力村の巨大噴砂孔(陶野撮影)2)

周囲の砂丘の地下水位が高く、中央の窪地表面が不透水性粘土で覆われ、地下水が被圧しやすい状況にあった。そこに地震が発生し液状化、被圧地下水とともに土砂が一気に噴き上げ、巨大噴砂孔が形成されたらしい。にわかには信じがたい現象である。土砂移動現象の発生条件がよくわかっている地点で、イベント後に形成された地層を観察することは、過去の堆積物の観察をもって事実認定をしていく第四紀学にとって、重要な調査である。
私も、1985-86年の現地調査に参加した。地震から数年を経て噴砂孔は埋め立てられ、位置は判然としなかった。初年度は巨大噴砂孔の位置を写真とトレンチで突き止め観察記載した。次年度は地下水面下に達するような矢板を打ち込み、わき出す水を排水して液状化の発生領域を、直接観察を行った。まさに工学と理学の融合した調査であった。陶野先生は強力なリーダーとして地主との交渉、ユンボの手配、各種申請など、精力的にこなしておられた3)
また、こんなこともあった、0.25φ間隔の篩を使用した砂の粒度を多数行い、分析結果を整理していくと、どのような堆積物でも、いつも特定の篩上残査の割合が多くなるという傾向が認められた。陶野先生は、篩の目の開きを直接測定する装置を設計特注し、篩の目の開きの実測を行った。はたしてその実測値をいれてグラフを書き直してみると、重ねた加積曲線上の怪しい階段は見事に消えていた4)

工学的なものの見方

このように陶野先生は、常に定量的で実証的であり、ものごとの本質にアプローチする姿勢として、非常に勉強になったことを覚えている。
日本第四紀学会賞おめでとうございます。
(千葉達朗 記)



※図1と図2は、当日のPPTより

引用文献

1)陶野郁雄(1997)新潟県上越市地盤沈下成城と新しい地番沈下観測システムの開発,国立環境研究所報告,135. http://www.nies.go.jp/kanko/kenkyu/pdf/972135-1.pdf
2)http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/kikikanri/ekijouka-map/q-and-a.html
3)液状化層の堆積構造に基づく液状化深度の推定に関する研究(研究課題番号:60020044および61020037)科研費報告書
4)千葉達朗(1986)粒度分布プログラムの開発−正規確率紙とR−R線図ー,日本第四紀学会講演要旨集,16,126-127.


関連リンク

陶野先生の略歴 地質調査技師講習会資料 ↓
http://www.tohoku-geo.ne.jp/information/daichi/img/33/27.pdf
山形大の記事 ↓
http://www.yamagata-u.ac.jp/topics/1903/Stouno.html
科研費データベース
http://kaken.nii.ac.jp/d/r/00016479.ja.html
デジタルブック 最新第四紀学
http://quaternary.jp/publication/hanbai-db.html


赤色立体地図とその応用

測量「地図表現とその周辺」最終校正中

ことはじめ

2002年の夏、青木ヶ原樹海の調査の直前、わたしは、レーザ計測部門から届いた、1m等高線図の束(1/5000で50枚以上)を前に、途方に暮れていた。数日間の判読作業の結果、樹海の地形は想像していた以上に複雑で凹凸に富んでいることがわかった。火口以外にも溶岩トンネルや溶岩皺のつくる窪地が無数にあり、1mDEMから作成した等高線は、伸びきったゴムバンドのように見えた。また、等高線のそれぞれに高度は付記されていなかった。これでは、凹凸すらわからない。新発見はもとより、現在地の確認もおぼつかないから、ちゃんと帰れるかどうかも怪しい。新技術を利用した成果へのプレッシャーと、遭難への恐怖にかられながら、追い込まれていた。
腹をくくって、自分の欲しいものは自分で作ることにした。レーザ計測部門から膨大なDEMデータを取り寄せ、等高線以外の地形表現を試みることにした。従来の陰影段彩図では複雑すぎてよくわからなかった。そこで、さまざまな地形フィルタ画像を片っ端から作成し、カラー合成を繰り返した。その総当たりの中から、最後に見つけ出された、最も不気味な画像が、のちの「赤色立体地図」であった。原理は、それほど難しいものではなく、まさにコロンブスの卵であった。陰影図のような方向依存性もなく、回転させても立体感は崩れないし、さまざまなスケールで見ても違和感は少なかった。これはいけそうだと、マニュアルを作り数名で分担して、3日間かけて50枚の赤色立体地図を作成した。現地調査では、樹海の中でも周囲を10mほど見通せれば、現在地を推定できるほどの精度があった。その結果、数カ月間の調査で非常に多くの新発見をし、成果を挙げることができた。

原理

赤色立体地図は、急斜面ほどより赤くなるように調整した斜度画像と、尾根谷度に比例したグレイスケール画像を乗算合成して作成する。尾根谷度は、地上開度から地下開度を引いて2で割って求める値で、尾根ほど明るく谷ほど暗くなるように調整した。最初はどうして立体的に見えるのか皆目見当がつかなかったが、さまざまなCG関係の文献を読み、実験的な検討を加え、だんだん理屈がわかってきた。地上開度はCGで使用する環境光に近いパラメータのようである。しかし、CGでは地下開度に相当するパラメータは使用していない。地下からマイナスの光を与えたと、考えればよいということも分かった。斜度画像は、色さえあればどのような色でも立体感を生じるが、赤を用いた場合に、もっとも強い立体感を生じ、さらに微妙な傾斜変化を認識しやすいことがわかった。我々は、印刷して野外に持参し、夕暮れ迫る過酷な条件でも、立体的に捉え、現在位置を認識できる画像を欲している。そのため、最も強い立体感を生み出す赤色以外の選択はあり得なかった。気持ち悪いという意見もあったが、そこが重要なポイントだったのだ。

作成事例

それから13年、国内外の特許を取得するとともに、手法やプログラムを改良し、DEMの精度向上を図るとともに、地形表現に美術的な付加価値さえ付けられるようになってきた。以下に、最近の応用事例について紹介したい。
1)西之島

2013年11月から、噴火を再開した小笠原の西之島について、国土地理院の2.5mDEMから作成した画像である。噴火を続ける火砕丘と北の溶岩湧出孔を取り囲むように溶岩流が枝分かれしながら伸びている様子がよくわかる(図1)。
2)月の赤色立体地図

2007年、日本の人工衛星「かぐや」は、月を周回しながら高精度の写真撮影を行い、JAXA国立天文台によって、地形データが作成された。最近、国土地理院アジア航測では、1/20度メッシュDEMをもとに赤色立体地図表現を試みた。現在、国土地理院のwebページで閲覧できる。月の裏側のクレーターの重なりが見事に表現されている(図2)。
3)コナベ古墳

古墳は立ち入り禁止であることが多く、古墳形状研究上の課題となっていた。橿原考古学研究所アジア航測は、共同で精密レーザ計測を行った。0.5mDEMから作成した赤色立体地図で、古墳の美しい姿が浮びあがった(図3)。
4)模型表面への印刷

地形模型表面に赤色立体地図を正確に印刷することで、模型の立体感と赤色立体地図の立体感の相乗効果をねらった。模型に手でふれて地形を観察したり、液体を流すことで、溶岩流や土石流のモデル実験をしたり、砂を積み上げて、元地形の復元検討もできる(図4)。
5)石巻赤色立体地図

赤色立体地図に高度段彩を重ねると、平野部の微地形がわかりやすくなる(図5)。




図1 西之島の赤色立体地図
国土地理院による2014年2月16日計測の2.5mDEMから作成

図2 月の赤色立体地図 球面マッピング
JAXA国立天文台による1/20度DEMをもとに作成

図3 コナベ古墳のレーザ測量 左:オルソフォト、右:赤色立体地図
橿原考古学研究所アジア航測の共同研究による。ヘリコプターによる50㎝DEM

図4 赤色立体3D地図模型と大磐梯山復元実験
国交省阿賀川河川国道事務所作成(2013年活火山フォーラムにて)

図5 石巻の赤色立体地図
2012年8月のレーザ計測1mDEMから作成。海岸沿いの盛土は5mの高さがあったが、津波はそれを乗り越え、住宅密集地を襲った、木造住宅は流され台地の裾に堆積し炎に包まれた。この図では、津波被害と地形の関係を判りやすく調整をしている。海岸付近に震災瓦礫の山がみられる。このような図から、地形を理解することが、地域の防災力を強化、復興を後押しすると考え、TBSの協力も得て、自主作成したものである。

タイムマシンはもうできている

あなたはまだ気が付いていないかもしれないけれど
東北新幹線は実はタイムマシンなんだ

タイムマシンに乗って石巻にいってみてごらん
そこでみえるのは未来の姿
あなたの町が津波に襲われた後の姿を
見ることができる

あれは 遠い北の町で 数年前に起こった
過去の出来事じゃない
あなたの 町で これから 起きる 未来のこと なんだ

東北新幹線というタイムマシンに乗って 見てくればいい
そして ふたたびタイムマシンに乗って
現在に戻ってくれば 友達も隣の人も皆元気だし
日常と 壊れていない町がそこにある

まだ間に合う
津波は必ずやってくる

あなたは3次元の世界に生きているから
知らないだけで もう決まったことなんだ

あなたは
1日が終わるたびに 今日も何もなかったから
あしたも きっと何もないと どんどん安心 
するかもしれないけど
それはおおきな 勘違い 
ほんとうは
1日が終わるたびに その日(Xデー)までの日数が 
さらに、1日短くなっただけのこと
その日(Xデー)がいつかを あなたは知らない
それほど 重要じゃない

どうなるのかを想像すること が重要なんだ
想像したくない未来の姿に 確信をもつことが

砂浜の波打ち際に
町を作って住み着いてしまったのは
あなたたちなんだから

あなたが偶然にも津波に出会わなくても
あなたの子供が出合うだけのこと

タイムマシンで未来に見に行ってくればいい

月の地形表現手法としての赤色立体地図

  1. 国土地理院|月の赤色立体地図 http://gisstar.gsi.go.jp/selene/
  2. その反響 http://www.kotaku.jp/2013/12/3d_map_moon.html
  3. ギズモードの記事 http://www.gizmodo.jp/2013/12/post_13648.html
  4. まいなびニュース http://news.mynavi.jp/news/2013/12/13/197/
  5. 英文の紹介ページ 国土地理院月の赤色立体地図 http://gisstar.gsi.go.jp/selene/index-E.html

概要

近年、日本のかぐや、NASAのLOLAなど、月面の詳細な地形データが取得されるようになり、地形表現手法が課題となってきた。月の地形的特徴が地球上の火山地形と類似していることに着目し、レーザ計測による火山地形表現に特化して開発された赤色立体地図を月の地形表現に適用した。その結果、月の地形的特徴を非常によく表現ができたので報告する。

月の地形の特徴

月の地形は、多数の衝突クレーターが分布する高地と、海と呼ばれる溶岩平原で特徴づけられる。月には大気や水がなく海もないので、水による侵食地形がみられない。風も吹かないので砂丘もない。いったん形成された地形が、風化侵食によって変化することはなく、形成時の状態が長期にわたって保存される。そのため、宇宙空間からの隕石衝突によるクレーター、火山噴火にる楯状火山や溶岩流のほか、地殻変動によるリッジや断層が特徴的にみられる。これらの点は、スケールは異なるものの、地球の火山地形と類似している。月の高地のクレーター群は地球上の火山地域の小火口群と、月の海の地形が地球上の火山山麓や平野の地形と類似しているといえよう。

地形表現手法の問題

このような相対的な凹凸が少ない地形の表現にとって、等高線は不向きである。小縮尺の地勢図や地図帳では、陰影や高度段彩を併用している。月の小縮尺地形表現にも、陰影段彩図を使用することがほとんどであった。しかし、月の表面はクレーターが数多く分布し重なり合っている。このような窪地を陰影図で表現すると、光源の方向によって凹凸が反転して見える場合があり問題であった。地形の特徴を理解するために、様々な方向からの陰影を比較することもあった。

火山地形と赤色立体地図

日本の火山は樹木で覆われていることが多く、微地形分類は困難であることが多かった。近年、航空レーザ計測の技術が進歩し、樹木を除去した詳細な地形データが取得できるようになってきた。微地形を観察し、微妙な重なりかたを詳しく見ることで、火口の形成順や溶岩流の流下プロセスを理解することができる。一方で、地形データが飛躍的に高精度になり、そのデータを表現するために、陰影図と高度段彩では、窪地や孤立丘の多い火山地形では表現手法として不適切であり、最近では赤色立体地図を利用する場面が多くなってきた。この図によって、多くの火山学的新発見がもたらされてきた。

赤色立体地図

赤色立体地図(千葉,2004)は、斜度図を改良した方法である。斜度を赤のグラデーションで表し、尾根谷度を明度に比例させて作成する。すなわち、急斜面ほど明るく、尾根ほど明るく、谷や窪地ほど暗く表現する手法である。この図は、1枚でオルソ画像ながら立体感があり、火山の微地形の特徴を判読するために改良工夫されたものであり、当初青木ヶ原樹海の内部の現地調査にむけて開発された。尾根や谷の表現には地上開度と地下開度を合成して利用しており、地形のフラクタル性を考慮した表現が可能となっている。

月の赤色立体地図

そこで、われわれは、地球上の火山地形の表現で有効であった赤色立体地図を月の地形表現に応用することを試みたので、ここに紹介する。使用した地形データはかぐやによるもので、1/20度メッシュに調整して利用した。また、作成した画像は、国土地理院のwebページでも公開中である。SeciumやThree.jsなどの3次元高速表示も可能となっている。

謝辞

自然科学研究機構 国立天文台および宇宙航空研究開発機構には「かぐや」による月の地形データを提供していただきました。

伊豆大島における災害史と自然

土木学会・地盤工学会・日本応用地質学会・日本地すべり学会
平成25年10月台風26号による伊豆大島豪雨災害緊急調査団報告会
平成26年1月23日(木)地盤工学会 大会議室 
1月27日修正pdfへのリンク
PPT書き起こし


はじめに

伊豆大島は島の中央部に直径 kmのカルデラがあり、そのさらに中央に三原山という中央火口丘がある。
三原山
三原山は活発に噴火を繰り返しており、最近でも1950-51年、1986年に噴火をしている。三原山の噴火は御神火と呼ばれ、美しい溶岩噴泉を上げるのが常だ。あふれ出した溶岩流もカルデラ内にとどまるか、大噴火の場合も東の裏砂漠ー東海岸の無人地帯に流れることがおおく、三原山とその周辺の砂漠は伊豆大島観光の中心であった。
■割れ目噴火:
伊豆大島は割れ目噴火も多い。島の北西側や南側には多数の側火山が見られる。1986年の噴火でも三原山の噴火以外に、北側の山腹の外輪山斜面で割れ目噴火が発生し、流れ出した溶岩流は元町まであと200mのところまで到達した。


図1 伊豆大島の火山地質図と傾斜区分図

右の傾斜区分図は国土地理院の10mDEMより作成(急斜面:赤-オレンジ-黄色-緑-青:緩斜面)


島の最大の集落である元町の東側にもY5という割れ目火口があり、古文書記録との比較から1338年に噴火したと考えられている。この割れ目火口は急斜面を横断するように伸びている為、地形的にはなはだ不明瞭である。このY5の火口から流れた溶岩流が「元町溶岩」であり、元町はその上に成立している。

三原山の噴火

カルデラ中央に位置する三原山は、さらにその中央に深い火口を持っている。最近は埋まってしまったが、かつては火口底に赤いマグマが常に見えた時期があり、頻繁に噴火を繰り返していた(図2)。最近の活動を表1に示す。

表1 伊豆大島の噴火史
川辺(1998)を簡略化

地層名 噴火年代 溶岩名 噴火地点
  1986-87   三原山および北西斜面
  1950-51 昭和溶岩 三原山
  1912-14   三原山
  1876-77   三原山
Y1 1777 安永溶岩 三原山
Y2 1684 三原山
Y3 1552? 三原山
Y4 1423? 三原山および南部海岸
Y5 1338? 三原山および北西外輪山




図2 三原山A火口の噴火

1986年11月17日千葉達朗撮影


三原山の噴火が長期間にわたって続くと、やがて火口から溢れ出し、三原山斜面を溶岩流となってカルデラ床に流下する。このような現象が、たびたび繰り返され、三原山カルデラ崖の間にあった”表砂漠”は、ほとんどが埋め立てられてしまった。しかし、このカルデラ床を埋め尽くす砂漠の”砂”がどうしてできたのかについては、長い間に溶岩が風化して砂になったなどと説明されることもあり、詳しい成因や年代はあまりわかっていなかった。

図3 三原山から溶岩流が流下し表砂漠を埋積

上:1951/3/23渡辺昇一郎撮影 下:1999/4/25千葉達朗撮影



図4 三原山斜面のLA溶岩流

1996年11月6日千葉達朗撮影



三原山の内部構造

1986年LA溶岩で寸断された三原山登山道の復旧工事で、1777年安永噴火の噴出物の露頭があらわれた。


図5-2 登山道に露出する安永噴火のサージ

1996年11月6日千葉達朗撮影


また、1986年11月21日の割れ目噴火で三原山の北東斜面に生じたB1-B2火口の内部には、成層構造をもつサージ堆積物が露出した。

図6 三原山B1火口壁の安永サージ

1988年2月13日千葉達朗撮影



図7 三原山B2火口壁の安永サージ

1988年2月13日千葉達朗撮影


このように、三原山の内部にはマグマ水蒸気噴火による砂質な噴出物がかなりの割合で存在することがわかる。三原山の周囲にも同様の砂が堆積しており、それを表砂漠や裏砂漠と呼んだのであろう。三原山は、高さに比べて火口が大きいという地形的特徴があり、スコリアコーンでは例外的と言われてきたが、これはタフコーンの特徴そのものである。三原山は、マグマ水蒸気爆発でできたタフコーンであり、その上を覆うように溶岩が流れたものと考えるべきであろう。

新期大島層群

三原山の噴火による降下火砕物は、カルデラ内だけでなく外輪山斜面や海岸付近まで伊豆大島の広い範囲に分布している。
小山ほかによる等層厚線図を図7-2に示す。

[:image:w360]

図8 新期大島層群の等層厚線図

小山ほか()による



図8 南部の林道工事で露出した新期大島層群の露頭

2009年3月30日千葉達朗撮影


このように、伊豆大島全域を覆う新期大島層群は三原山の火山活動による風成層であり、マグマ噴火によるスコリア、マグマ水蒸気爆発による火山砂、噴火休止期の細粒火山灰(レス)の繰り返しからなる。さらに、スコリアや火山砂層の上面は不規則な侵食痕跡がみられることが多い。

図9 部分拡大写真

黒色:粗粒なスコリア、灰色:火山砂、赤褐色:噴火休止期のレス



登山道の寸断と御神火スカイライン


図10 外輪山斜面に生じた火口列と登山道路

1986年アジア航測撮影 赤外カラー



図11 1986年噴火C5火口の内部に露出する有料道路の断面

1986年12月14日千葉達朗撮影


このように、伊豆大島では、道路などのインフラが噴火によって破壊されあるいは埋積されても、掘り出して復活させたり別のルートに付け替たりを繰り返してきた。火口や道路の断面で、道路のコンクリートアスファルトが地層となって観察できるほどである。

元町付近の地形


図12 元町周辺の斜度分布

国土地理院の基盤地図5mDEMより作成(H24災害前)


このように元町地区の東に、外輪山斜面でもっとも急で谷の少ない斜面が分布していることがわかる。

図13 2013年10月16日災害の影響範囲判読図

背景の赤色立体地図は国土地理院の基盤地図5mDEM(H24災害前)より作成



参考資料


中村一明先生による新期大島層群模式スケッチ

小山先生による新期大島層群模式柱状図


伊豆大島の地形

伊豆大島の全体の形は 南北 km 東西 kmの楕円形で、中央部にカルデラがあり、その中央に三原山がある。
三原山
三原山は底部の直径m 頂部の直径 mの閉庁円錐型の中央火口旧であり、一般的なスコリア丘と比較して、頂部の火口の直径が大きいという特徴がある
また、三原山にもカルデラ地形があり、内輪山と呼ばれる
内輪山の内側は溶岩平原でほとんど平らであるが、その中央部に 縦穴火口が位置する

縦穴火口のそこの高さは上下を繰り返し
新しい噴火の開始は この火口のsこで半買う
壁際で起きる 壁気岩には火口が形成される
1950年噴火の時に出来た山は 三原新山 とされ
1986年の時はA火口と呼ばれた


カルデラの外側には外輪山があるが
西側の斜面が東側と比較すると急である
これをもって島が西側に啓道しているためという説もある
しかし、溶岩流は東に流れ 火山灰も東に流れ
富士山も東の方が緩いので
簡単に西側に傾いていると結論を出すのは難しい
ただし、、島の被害しか胃がんには
古い火山があり 筆島など 


火山の場合
地形は噴火の結果であり
地質は地形からわかるので
地質の前に地形を議論するのは
難しいのかもしれない

地形的な特徴だけから何がわかるのか

レーザ計測の結果から
伊豆大島の地形の特徴を整理した

図 伊豆大島全体赤色立体地図 国土地理院計測のH24年度5mメッシュ

(2)元町地区の地形

元町地区 東京都計測 災害発生後 
崩壊範囲がわかるように差分値を重ねた

発生前の微地形
Y5の火口列がくっきりと浮かび上がっている
この付近に割れ目火口があるということは
地質調査で明らかであったが
正確な位置は不明であった

極座標でみた富士山

[地図中心原稿][富士山][DEM][火山][地図]画像はオリジナル解像度に変更


富士山の稜線

富士山は日本で一番高い山であると同時に、最も活発な火山であることは意外と知られていない。長期的に見ると、過去1万1千年間の噴出量は、48km3に及ぶ1)。これは、カルデラ噴火を除けば日本一の値である。
また、富士山は日本一登りやすい高山でもある。夏の7月から8月にかけて、毎年30万人もの老若男女が山頂を目指す。誰でも登れる、傾斜のゆるい、溶岩や火山礫で覆われた登山道が続く。あまたある山小屋への物資の補給は、ヘリではなく、ブルドーザーが担っている。日本の高山にブルドーザーで山頂まで登れるところが、他にあるだろうか。すなわち、富士山は「礫を積み上げた巨大なボタ山」のようなものである。こんなあやういものを日本一の高さになるほど積み上げた富士山は、非常に活発な火山ということになる。
一つの火口で数多くの噴火を繰り返した結果、火口の周りに直径10km比高2000mの巨大な円錐形の火山体が形成された。このような噴火を山頂噴火とよぶ。しかし、富士山では過去2200年間、山頂噴火は知られていない。最近は、もっぱら側噴火である。富士山の周辺には側火山(かつて寄生火山とよばれた)が、70以上も存在する(小火口をどう数えるかは難しい)。この側火山は、北西方向と南東方向に多く分布する。また、富士山は、小御岳、古富士、新富士と時代区分されており、段階的に積み上げるように成長してきた。よく、新富士の噴出物がすべてを覆っているような絵があるが、実は、古い山体の一部も斜面上に突き出すように残っている。スバルラインの終点の小御岳、北東斜面から小富士にかけての古富士火山の尾根などである。富士山が見る方角によってさまざまな形を示すのは、このような特徴による。


図1 富士山の稜線は美しい曲線

また、富士山はたしかに円錐形であるが、その斜辺の傾きは一様ではない。山頂から離れるに従い、徐々に傾きが小さくなるような"指数曲線"を描く。富士山を美しいと感じるのは、この微妙な曲がり具合のためである。またこの曲がり具合は、方向によってかなり違なる。単純な”末広がりの円錐”ではない。
本稿では、極座標変換という手法で、富士山にメスを入れ、切り開くことで、富士山を新たな視点からみていきたい。
 一般に火山の斜面勾配は、火口から地上にもたらされた物質の状態や運動メカニズムで決定される。これを、安定勾配や安息角と呼ぶこともある。富士山の山頂の火口近傍では高温状態のマグマの飛沫が落下し、再び相互に付着して一体化した溶結降下火砕物が見られる。この付近は、35度以上の傾斜で安定している。山頂から少し離れ、傾斜が20度程度の地域では、高温のマグマがそのまま液体として流れた溶岩流や高温の紛体や気体がなだれのように斜面を高速度で下る火砕流のつくる地形が観察できる。さらに、傾斜が10度程度に緩くなると、土砂と水が混合し高密度の流れとなって谷底を流れる土石流・泥流などがあらわれる。これらをさらに、降下スコリアや降下火山灰などの風成層が覆うので、時間とともになめらかとなっていく。局地的には、谷が形成されたり埋めたてられたり、さまざまなことがおきている、総じて、周りより高い部分は削り取られ、低い部分は埋まっていく、かくして富士山は世界的にもまれな、見事な末広がりの巨大な円錐となったわけである。

検討範囲

検討対象は、山頂(最高点ではなく、大内院のほぼ中央)を中心とする半径13.5kmの円形の範囲とした(図2の白丸の範囲)。この距離は、山頂から側火山分布限界までの距離である。北東方向の小臼、北西方向の下り山火口、南方向の大淵火口南限、南西方向の天母山はいずれもこの円周上に位置する。


図2 富士山とその周辺の地形の赤色立体地図+高度段彩による表現


極座標変換

地形データについては、国土地理院基盤地図情報0.4秒メッシュ(約10m)もとに、直交座標系(第VIII系)の50mメッシュにリサンプリングして使用した(図3)。極座標の原点は、山頂の大内院のほぼ中央(緯度35.36295,経度138.73035)とした。このような地形検討は、2009年に富士学会のシンポで紹介したことがある2)。今回、検討範囲を15kmから13.5kmに変更し、周辺の基盤山地の影響を排除して再検討を行った(図3)。


図3 検討対象範囲のレインボーゼブラマップ(更新済み)

図3をみると、北西南東方向がやや長い同心円で、放射状の筋はあるものの細く、深い谷はほとんど発達していないことがわかる。また、周辺ほど縞の幅が広いので緩いことを示す。
図4に、極座標変換後の画像を示す。X軸は、山頂からみた方位角で、南を0度とし時計回りに360度までの数値で示している。Y軸は山頂からの距離で単位はmである。

図4 極座標変換後のレインボーゼブラマップ

この図を見ると、側火山の集中する部分は周囲よりも高く、ニキビのように盛り上がっていることがわかる。特に、135度方向と315度方向に集中していることがわかる。なお、250度付近の高度のギャップは、丹沢山地が東側から突き出している影響で、南の御殿場側が低くなっている。

図5 極座標変換後の斜度分布図

図5は、同様の図で傾斜角を示したものである。西方向-高度3000mに見られる急斜面は大沢崩れである。また、方位320度の距離2-4kmにある円形のものは宝永火口である。方位180度の山頂から5kmほどの位置にある傾斜の急な部分は小御岳の山体が露出している部分である。方位250度付近向で山頂から5km付近にある尾根は古富士の山体の一部が露出している部分である。

投影断面

X軸に山頂からの方位、Y軸に高度をとり、50mDEMの格子点頻度分布をカラーで示した(図6)。単位は個数である。色と個数の関係は下のカラーバーに示した。高度の高い側が散面的になるのは、山頂に近い部分の地点数が少ないためである。富士山をスカートに例えれば、明るい下限の線がフレアスカートの周囲の高さに相当する。この図を見ると、最も標高が低いのは方位角45度で南西の富士宮方向であることがわかる。次に、御殿場方向、最後に富士吉田方向である。北西方向や南東方向に泡立つような模様が見えるが、側火山の山体の影響である。また、方位角200度から250度の忍野から山中湖にかけての方面は、周辺よりも有意に標高が高い。この方向に古富士の山体斜面があることなどを考慮すると、古富士の山麓緩斜面と見たほうがいいのだろう。


図6 方位別高度頻度分布図

山頂から高度に合わせて放射状に投影した図といったほうがよいかもしれない。図7には山頂を中心とする同心円横断の比較を示した。これらの図から、山頂からの距離ごとの地形の違いがよくわかる。

図7 同心円地形断面比較図


全方位縦断面重ね図

X軸に山頂からの距離、Y軸に高度をとり、50mDEMの頻度分布をカラーで示した。高度は20mごと、距離は50mごとに集計した。数値は色で表し、単位は当該座標のDEMの個数である。扇形に並ぶ放射状の断面を畳み込み集計した画像である(図8)。


図8 全方位の縦断面重ね図

この図を見ると、山頂から13.5kmにおける高度は350mから1100m程度の範囲にあり、最頻値は900m程度であることがわかる。山頂からそれぞれの方向の最低点に向け、徐々に高度を下げ、美しい曲線を描いていることがわかる。すべての方向にわたって、不安定さは感じられない。なお、曲線よりも上の、ピンク色に見える盛り上がりは、左側から宝永山、小御岳、大室山であり、最も右のものは丹沢山地である。

山頂からの距離と最大傾斜の関係

X軸に山頂からの距離、Y軸に着目点ごとの最大傾斜をとり、50mDEMの頻度分布をカラーで示した。高度は20mごと、距離は50mごとに集計した。数値は色で表し、単位は当該座標のDEMの個数である(図9)。


図9 山頂からの距離と最大傾斜の関係

山頂に近いところほど傾斜は急になるが、35度を過ぎたあたりでそれ以上上がらなくなる。このことは、山頂付近が安息角に達していることを示しているのだろう。現地の観察では、角礫だけでなく溶結降下火砕物や溶岩流などが分布している。高度が下がり、山頂から離れるにしたがって、傾斜が緩くなるが、5㎞ほどの地点を境に、傾斜の変化傾向に差が生じる。傾斜が10度以下の斜面を構成するのは、溶岩流や火砕流だけでなく、土石流や泥流堆積物が多い。この意味をどう考えればいいのかは、もう少し詳しく方位別の傾斜の変化傾向や、地質との関係を吟味する必要があるだろう。

まとめ

富士山について、50mDEMデータを用いて極座標変換を行い地形解析を試みた。従来の平面図や鳥瞰図では気がつかない新しい視点から富士山の地形を見ることで、山頂から約5㎞高度1700m付近を境界として、山頂側と山麓側で地形特性に相違があることが認識することが出来た。おそらく新富士火山の中期と呼ばれる時期に積み上げられた地形であると思われる。富士山の斜面は対数曲線のようであるが、山頂付近は斜面傾斜が一定となり、いわゆる安息角に達しているのであろう。富士山はプレート境界の真上に成長した火山で、周辺には活断層も多い。最初は、この断層変位が見えるのではないかと思ってやってみたのだが、なかなか簡単に結論は出せないようだ。何かはっと思うことひとつでもあれば幸いである。


文献

1)宮地直道(1988)新富士火山の活動史,地質学雑誌,94,6,433-452.
2) 千葉達朗(2010)富士山の地形-50mDEM円柱座標変換解析の試み-,富士学研究,7,1,3-13.