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宮地直道さん

日本大学文理学部の宮地さんが亡くなってからもう2年半になる。ようやく、何かかかけそうな気がしてきた。1957年3月生まれだったので、54歳だった。とても惜しい人をなくしてしまった。
宮地さんは、日大の文理学部応用地学科に1976年に入学され、その後、日本大学大学院理工学研究科地理学専攻の博士前期課程・後期課程と進まれ、1986年に博士号を取得している。わたしは、1975年入学なので、彼の1年先輩ということになる。ともに、遠藤邦彦教授の研究室で学んで、穴を掘ったり噴火に遭遇したりいろいろなことをいっしょにやった。よき研究仲間であり、越え難い優秀ななライバルであり、そして友人だった。ただ、お互いの研究スタイルはだいぶ違っていた。おなじ露頭を前にしても、調査手法や発想が違うので、結論も違うことも多かった。違うタイプの人間が一緒にやるのは、ものごとの本質をあぶりだすやり方としては、よかったのかもしれない。かれの人となりを記録しておくのにふさわしい、いくつかのエピソードを紹介したい。



伊豆大島の調査

1986年11月21日、私は宮地さんや遠藤先生とともに、特別の許可を得てカルデラ内に立ち入り、19日に流れたばかりの溶岩流の調査を行っていた。
目の前で割れ目噴火が発生した。その瞬間、一番近くにいたのは宮地さんだった。その時に撮影した写真がこれである(写真1)。