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貞観津波のこと(門脇中学校PTA会報原稿) 千葉達朗 

貞観津波のこと 千葉達朗 
■はじめに
 私は、昭和三十一年生まれの門中の先輩です。仕事は、日本中の火山へ調査に出かけ、地形や地質の調査をして、防災マップを作ったりしています。石巻で生まれ育ち、門小、門中、石高とすすみ、十八歳でふるさとを離れ、あっというまに三十八年が過ぎましました。

■門中のおもいで
 当時の門中はマンモス校で釜小と門小の卒業生がみんなここに来ていたから、四十五人学級で学年六クラスはありましました。入学当時、学校中で一番背が低かったのですが、授業はとても面白かったです。門中では生徒会長をしていましました。ちょうど大阪で万博があった頃で、柏陵祭も、大いに盛り上がり、学年ごとに、石巻・東北・世界とテーマを決め、クラス対抗で調べて展示することになりました。大使館に連絡を入れて大量の資料を展示しましたクラスがあったり、雲雀野海岸の水を汲んでビーカーに並べて公害反対を訴えたクラスもありました。市役所から門中の生徒がたくさん来て、質問攻めにするので、仕事に差し支えるという苦情が来たりするほどでした。バレーボールに打ち込んでいましましたが、球拾いをしながら、溝に砂を落としてはダムを作り、決壊する様子を飽かず眺めたりしていたことを覚えています。地図好きが高じて、大学で地形や地質を学び、今はアジア航測という会社で仕事をし、大学で授業もしています。

■貞観津波
 石巻は、これまで大津波が来たことはないと、思っていた人が多かったようです。災害は忘れた頃にやってくるということわざがあります。これは、「大きな災害は、めったに起こらないが、繰り返し発生するから、油断しないで備えよ」という意味です。石巻が、前の大津波のことを忘れてしまったわけではありません。石巻は、江戸時代に、人工的に開削された北上川の河口にできた新しい町で、たまたま、これまで大津波の被害がなかっただけなのです。そこで、石巻ができる前、まだ文字の記録がなかった頃に、大津波が来たかどうかを調べる地質調査が行われました。2005年、石巻のあちこちで穴を掘って地層を調べたのです。その結果、水田の黒い泥の下、数十センチの深さから、相次いで灰色の砂層が発見されました。この砂には、海の微生物の殻の破片が多く含まれていたので、津波によって運ばれたものと考えられました。また、この砂が堆積した時代は、約一〇〇〇年前の十和田火山噴火の火山灰の直下にあったので、その直前だということもわかったのです。これは、多賀城の貞観津波の古文書記録とぴったり一致します。この、津波堆積物が見つかったのは、海岸から蛇田のイオンのすぐ西までです。石巻にも大津波が来ていたという物的証拠が見つかったのです。
 正月、帰省したときに、母親に「大津波が、石巻地方にも到達していたことがわかった。でも、いまから約千年前の平安時代。もしも、近いうちにそういうことがあったとしても、いまは、堤防もあるから、それほど心配はないだろう」と、話をしました。大地震というものは、めったに起きない。千年に一回くらいの確率で起こる地震が、明日起きるという可能性は、非常に低いと思ったのです。でも、大津波が来たら、石巻は危ないところがたくさんある、と胸騒ぎのようなものを感じ、帰省するたびに写真を撮っていました(写真1)。
石巻市内を流れる旧北上川は、全国でも珍しい堤防のない一級河川です。川沿いの岸壁に寄り添うように市街地があるという状況は、江戸時代のままです。これまでも一九六〇年のチリ地震津波や高潮や洪水のたびに、水が上がったのですが、我慢してきたのです。防災のために川沿いに堤防を作ろうという計画には、石巻らしさがなくなると、反対の声が多かったのです。

■大地震と大津波
二〇一一年三月一一日、マグニチュード9.0の東日本太平洋沖地震が発生しました。直後に発生しました大津波により、二万人もの方が犠牲となってしまい、大変悲しく残念です。石巻も大きな被害を受けましました。地震が発生したとき、わたしは、勤務時間中で、会社にいました。大きく揺られながら、テレビニュースを見ると、多賀城石巻が大津波で襲われているシーンでした。「しまった、貞観津波の再来は、今日だったのか。」と、ただ、自分の不明を恥じいるしかありませんでしました。みんな、油断していたのです。石巻で生まれ育ち、いま防災の仕事に携わる人間として、故郷のために何かしなければいけないという、使命感を強く感じました。

■テレビ出演
 それから一年半後、私は、TBSの「夢の扉+」という番組の取材で、日和山にいました。石巻のレーザー計測をするためです。数年前に発明した「赤色立体地図」という地形表現手法は、最新の航空レーザー計測の表現に最適で、引っ張りだこです。赤色立体地図は一枚だけで、自然な立体感があるので、津波の時に逃げるべき高台の位置がわかりやすいのです。これが、私の子供のころからの夢を実現したものだ、というストーリーで三〇分番組を作りたいというのです。番組の取材で、実際に計測もできるということで、ぜひ石巻をと希望し、実現したのです。

日和山
 日和山から見る海の色はいつもと変わらないのですが、手前に見える住宅地はすっかり流されてしまいました。地盤も低くなったようです。はたして、全体が低くなったのか、どのくらい低くなったのかの調査、石巻の復旧・復興を考えるためには、航空レーザー計測という測量が有効です。この方法は、上空を飛行するセスナ機から真下にレーザー光線を発射し、往復に要する時間から、地面との距離を精密に測定する方法ですその結果をわかりやすくするのが赤色立体地図で、私が二〇〇二年に発明した方法なのです。計測結果をもとに、石巻の赤色立体地図を作成しました。そこに浮かび上がったのは、よく知っている石巻の微地形でした。津波による被害の大きさが、地形の微妙な凹凸でかなり異なることがよく判ります。

■赤色立体地図
 中央部にある赤くてじゃがいものような形をしたのが、日和山丘陵。南東の隅にあるのが一番高い日和山です。北側の高まりは羽黒山。赤色立体地図では、学校の校庭の長方形がよく判ります。門中と石中が並んでいるのですぐに見つかるでしょう。いつも通っている通学路を探してみましょう。

■最後に
 できれば一度、後輩のみなさんに、石巻の地形や防災の話をしたいとおもいます。一〇〇〇年に一回の大津波に会うなんて、理不尽です。時に理不尽なことも、起こるのが人生です。この苦難を乗り越えたという経験は、自信となり人生においてかならず役に立つと思います。中学生のお財布の中には、時間という財産がたくさん入っています。その財産で何を買ってどう使うのかはあなたの自由です。自分を何者かに変えることだってできるし、何かを作ることもできる。おとなの常識に怖気つくことなく、しかし謙虚に自分の気持ちに正直にやるべきです。新しいものを作るのはあなたの役目で、その種は自分の中にあるのです。がんばってください。