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伊豆大島における災害史と自然

土木学会・地盤工学会・日本応用地質学会・日本地すべり学会
平成25年10月台風26号による伊豆大島豪雨災害緊急調査団報告会
平成26年1月23日(木)地盤工学会 大会議室 
1月27日修正pdfへのリンク
PPT書き起こし


はじめに

伊豆大島は島の中央部に直径 kmのカルデラがあり、そのさらに中央に三原山という中央火口丘がある。
三原山
三原山は活発に噴火を繰り返しており、最近でも1950-51年、1986年に噴火をしている。三原山の噴火は御神火と呼ばれ、美しい溶岩噴泉を上げるのが常だ。あふれ出した溶岩流もカルデラ内にとどまるか、大噴火の場合も東の裏砂漠ー東海岸の無人地帯に流れることがおおく、三原山とその周辺の砂漠は伊豆大島観光の中心であった。
■割れ目噴火:
伊豆大島は割れ目噴火も多い。島の北西側や南側には多数の側火山が見られる。1986年の噴火でも三原山の噴火以外に、北側の山腹の外輪山斜面で割れ目噴火が発生し、流れ出した溶岩流は元町まであと200mのところまで到達した。


図1 伊豆大島の火山地質図と傾斜区分図

右の傾斜区分図は国土地理院の10mDEMより作成(急斜面:赤-オレンジ-黄色-緑-青:緩斜面)


島の最大の集落である元町の東側にもY5という割れ目火口があり、古文書記録との比較から1338年に噴火したと考えられている。この割れ目火口は急斜面を横断するように伸びている為、地形的にはなはだ不明瞭である。このY5の火口から流れた溶岩流が「元町溶岩」であり、元町はその上に成立している。

三原山の噴火

カルデラ中央に位置する三原山は、さらにその中央に深い火口を持っている。最近は埋まってしまったが、かつては火口底に赤いマグマが常に見えた時期があり、頻繁に噴火を繰り返していた(図2)。最近の活動を表1に示す。

表1 伊豆大島の噴火史
川辺(1998)を簡略化

地層名 噴火年代 溶岩名 噴火地点
  1986-87   三原山および北西斜面
  1950-51 昭和溶岩 三原山
  1912-14   三原山
  1876-77   三原山
Y1 1777 安永溶岩 三原山
Y2 1684 三原山
Y3 1552? 三原山
Y4 1423? 三原山および南部海岸
Y5 1338? 三原山および北西外輪山




図2 三原山A火口の噴火

1986年11月17日千葉達朗撮影


三原山の噴火が長期間にわたって続くと、やがて火口から溢れ出し、三原山斜面を溶岩流となってカルデラ床に流下する。このような現象が、たびたび繰り返され、三原山カルデラ崖の間にあった”表砂漠”は、ほとんどが埋め立てられてしまった。しかし、このカルデラ床を埋め尽くす砂漠の”砂”がどうしてできたのかについては、長い間に溶岩が風化して砂になったなどと説明されることもあり、詳しい成因や年代はあまりわかっていなかった。

図3 三原山から溶岩流が流下し表砂漠を埋積

上:1951/3/23渡辺昇一郎撮影 下:1999/4/25千葉達朗撮影



図4 三原山斜面のLA溶岩流

1996年11月6日千葉達朗撮影



三原山の内部構造

1986年LA溶岩で寸断された三原山登山道の復旧工事で、1777年安永噴火の噴出物の露頭があらわれた。


図5-2 登山道に露出する安永噴火のサージ

1996年11月6日千葉達朗撮影


また、1986年11月21日の割れ目噴火で三原山の北東斜面に生じたB1-B2火口の内部には、成層構造をもつサージ堆積物が露出した。

図6 三原山B1火口壁の安永サージ

1988年2月13日千葉達朗撮影



図7 三原山B2火口壁の安永サージ

1988年2月13日千葉達朗撮影


このように、三原山の内部にはマグマ水蒸気噴火による砂質な噴出物がかなりの割合で存在することがわかる。三原山の周囲にも同様の砂が堆積しており、それを表砂漠や裏砂漠と呼んだのであろう。三原山は、高さに比べて火口が大きいという地形的特徴があり、スコリアコーンでは例外的と言われてきたが、これはタフコーンの特徴そのものである。三原山は、マグマ水蒸気爆発でできたタフコーンであり、その上を覆うように溶岩が流れたものと考えるべきであろう。

新期大島層群

三原山の噴火による降下火砕物は、カルデラ内だけでなく外輪山斜面や海岸付近まで伊豆大島の広い範囲に分布している。
小山ほかによる等層厚線図を図7-2に示す。

[:image:w360]

図8 新期大島層群の等層厚線図

小山ほか()による



図8 南部の林道工事で露出した新期大島層群の露頭

2009年3月30日千葉達朗撮影


このように、伊豆大島全域を覆う新期大島層群は三原山の火山活動による風成層であり、マグマ噴火によるスコリア、マグマ水蒸気爆発による火山砂、噴火休止期の細粒火山灰(レス)の繰り返しからなる。さらに、スコリアや火山砂層の上面は不規則な侵食痕跡がみられることが多い。

図9 部分拡大写真

黒色:粗粒なスコリア、灰色:火山砂、赤褐色:噴火休止期のレス



登山道の寸断と御神火スカイライン


図10 外輪山斜面に生じた火口列と登山道路

1986年アジア航測撮影 赤外カラー



図11 1986年噴火C5火口の内部に露出する有料道路の断面

1986年12月14日千葉達朗撮影


このように、伊豆大島では、道路などのインフラが噴火によって破壊されあるいは埋積されても、掘り出して復活させたり別のルートに付け替たりを繰り返してきた。火口や道路の断面で、道路のコンクリートアスファルトが地層となって観察できるほどである。

元町付近の地形


図12 元町周辺の斜度分布

国土地理院の基盤地図5mDEMより作成(H24災害前)


このように元町地区の東に、外輪山斜面でもっとも急で谷の少ない斜面が分布していることがわかる。

図13 2013年10月16日災害の影響範囲判読図

背景の赤色立体地図は国土地理院の基盤地図5mDEM(H24災害前)より作成



参考資料


中村一明先生による新期大島層群模式スケッチ

小山先生による新期大島層群模式柱状図


伊豆大島の地形

伊豆大島の全体の形は 南北 km 東西 kmの楕円形で、中央部にカルデラがあり、その中央に三原山がある。
三原山
三原山は底部の直径m 頂部の直径 mの閉庁円錐型の中央火口旧であり、一般的なスコリア丘と比較して、頂部の火口の直径が大きいという特徴がある
また、三原山にもカルデラ地形があり、内輪山と呼ばれる
内輪山の内側は溶岩平原でほとんど平らであるが、その中央部に 縦穴火口が位置する

縦穴火口のそこの高さは上下を繰り返し
新しい噴火の開始は この火口のsこで半買う
壁際で起きる 壁気岩には火口が形成される
1950年噴火の時に出来た山は 三原新山 とされ
1986年の時はA火口と呼ばれた


カルデラの外側には外輪山があるが
西側の斜面が東側と比較すると急である
これをもって島が西側に啓道しているためという説もある
しかし、溶岩流は東に流れ 火山灰も東に流れ
富士山も東の方が緩いので
簡単に西側に傾いていると結論を出すのは難しい
ただし、、島の被害しか胃がんには
古い火山があり 筆島など 


火山の場合
地形は噴火の結果であり
地質は地形からわかるので
地質の前に地形を議論するのは
難しいのかもしれない

地形的な特徴だけから何がわかるのか

レーザ計測の結果から
伊豆大島の地形の特徴を整理した

図 伊豆大島全体赤色立体地図 国土地理院計測のH24年度5mメッシュ

(2)元町地区の地形

元町地区 東京都計測 災害発生後 
崩壊範囲がわかるように差分値を重ねた

発生前の微地形
Y5の火口列がくっきりと浮かび上がっている
この付近に割れ目火口があるということは
地質調査で明らかであったが
正確な位置は不明であった