赤色立体地図weblog

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石巻から東京へ神田から渋谷へ

 宮城県石巻で生まれ育った。そして18歳で上京した。市内に大学はなく、進学するには、遠く離れた都会の大学にいくしかなかった。本屋さんのブルーバックスの中が、優れた知性との接点だった。東京には、仙台の大きい本屋さんよりも、もっと大きな本屋さんがあって、神田といういうところには、本屋さんだけの町があると聞いて、どきどきしていた。

 だから、大学入試のために東京に行ったとき、最大関心時は「神田の古本屋街」だった。そこに、行きたいと思って、国電の神田駅で降りて交番で尋ねた。おまわりさんは、信号の数で13個先の交差点のあたりだと、西の彼方を指して引っ込んでしまった。西に進んではみたものの、交差点ごとに信号が4つもあって混乱し、3つ先の交差点でうろうろしたりした。

 それでもなんとか、三省堂書店という大きな本屋さんに着き、夢の世界にいったように興奮して帰ってきた。その本屋さんには、1/2.5万地形図がいっぱいあるコーナーがあって、日本中のすべての地形図がそろっていたのだ。大学に入学してから、まっさきにその本屋さんに行って、1/2.5万地形図を東京都区内を全部揃えて、繋ぎ合わせて1枚にした。

 まだ、何もないアパートは、つなぎ合わせた地形図の等高線を赤い水性ペンでなぞるためには、ちょうどいい広さだった。これは、実にわかりにくいのだが、とても楽しい作業でもあった。そして、すべての等高線がつながったとき、いろいろな発見があった。

 たとえば、地下鉄銀座線渋谷駅のホームが、ビルの3階にあるという謎を解き明かした。銀座線の隣の駅は、表参道、その先は外苑前、青山一丁目と続く。よくよく漢字を見れば渋谷には「谷」という字があり、青山には「山」という字がある。なんのことはない。地下鉄銀座線は青山から渋谷まで水平に走っているだけだったのである。かように山の手台地はでこぼこしているのである。

 その発見を、1年生の最初の自己紹介で話した。日大文理学部の応用地学科の1年生の教室で、東北から出てきたばかりの少年の話はそれは大受けした。ブラタモリもない頃で、新鮮だったのだ。周りに人だかりができて、いっぺんにたくさんの友達ができた。これが、わたしの大学生活の始まりだった。。