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大学1年生の頃

一般社団法人 全国地質調査業協会連合会 関東地方地質調査業協会 機関誌 原稿作成中 7月末締め切り 2ページ A4 2段組

はじめに

1975年春、日本大学文理学部の応用地学科というところに入学した。サイクルサッカー部からは、一発で乗りこなしたので、かなり勧誘されたが、文理の写真部とオール日大の美術部に入った。東京の大学にはいったら美術部にはいれば裸婦クロッキーができるから必ず入れという高校の先輩のアドバイスに従ったのだ。中学時代から集めていた1/2.5万地形図コレクションは200枚くらいあった。等高線フェチだったのかもしれない。都内の大学なので、大きな書店に行って全国の1/2.5万がいつでも入手できると言うだけでわくわくしていた。
5月に行われた新入生歓迎巡検ではじめて地質調査を体験し一度でやみつきとなった。写真部も美術部もかなり頑張って、将来を期待されていたのだけれども、基本的に4年間地質調査に明け暮れた。現地調査に行かない時も、薄片作成講習会や顕鏡講習会・読書会と行事が続いた。今にして思えば、当時は高度経済成長真っ盛り、沢沿いには砂防ダムも少なく露頭があり、道路沿いもあちこちに地層が露出し、家の裏の崖や採石場や工事現場にも自由に入れたので、地質学を学ぶには最適だったのかもしれない。
たとえば、1年生の冬の合宿所は廃校になった小学校。温泉街の奥の方にあった。シュラフとは名ばかりのうすべりの綿入れの中に潜り込んで横になるが、寒くてなかなか眠れなかった。毎日先輩とチームを組んで沢に入り露頭を叩きながら沢を詰める。次々に現れる地層をハンマーで叩いて表面の苔をはぎ取り、岩石を取り上げルーペで確認し地層の特徴を記入する。クリノメーターで走向傾斜を測り、進む方向を測定し、距離を目測で測り、一歩一歩ルートマップを描きながら進む。1/2.5万地形図を1/1万に拡大した陽画も持参しているけれど、遠くの山は見えず、等高線から現在地を、逐一把握することはとても出来ないのだ。宿に戻ったらロットリングでルートマップの墨入れを行い、セクショントレペにトレース。それから全体の形を見ながら、1/1万地形図プロットしていく。その後、裏打ちされた1/1万野稿図にも、走向傾斜をプロトラクターで正確に記入して地層の色を色鉛筆で塗っていく、それが終わってからミーティング。その日の調査報告をする同じ班の先輩の話を聞きながら、あれはそうだったのかと納得したり、違うよなあとおもったりする。隣の沢を詰めた班の報告から同じ地層がありそうだと言うことになると、仮に線で結んでいくことになる。そこで使うのが地質図学。かっこいい。次の日の班分けを決めるときに、昨日見た鍵層が出そうな沢を選んで、班員に立候補する。翌朝、わくわくしながら調査にゆき、図学で予想した地点で同じ鍵層に出会ったときの感激は忘れられない。