赤色立体地図weblog

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夢の扉+ 主人公のその後(推敲中)

お名前:千葉達朗 放送日:2012年8月26日
タイトル:活断層も溶岩流も可視化!精密な地形を3次元で表現する『赤色立体地図』〜独自開発の新技法を防災計画に活用し日本列島を守りたい!〜     



放送の反響は予想以上に大きく、テレビというマスメディアの影響力、この番組の影響力を知った。さまざまな問い合わせは、新聞やテレビ局から地元、一般の方まで、取材依頼から、講演依頼まで非常に忙しくなって、そのままである。
特に、番組の中で使用した富士山の赤色立体地図の動画は、NHKのサイエンスアイ、NHK特集、フジテレビ、静岡朝日放送などで取り上げられた。取材の依頼も多く(電気新聞、図書館ニュース、そら、ニュートン、大阪読売新聞、南日本新聞山梨日日新聞)、講演依頼も(土木学会、島根県立命館大学鳴沢村、奇石博物館、逗子市、藤沢市)。青木ヶ原樹海の現地案内は、日本地質学会関東支部、鳴沢村、奇石博物館と目白押しだった。伊豆大島模型もひっぱりだこ(フジテレビ、東京MXテレビ日本テレビ)。また、本の売り上げも伸びた。また、
番組放送から1年ほどたって、石巻市役所には赤色立体地図を寄贈した。その際母校の石巻高校と門脇中学校にもパネルを寄贈した。YHOO石巻ベース、ishinomaki2.0にもお渡しした。
赤色立体地図と地形図を重ねた「山っぷ」は、7-11で販売を開始、その後電子国土賞を受賞した。2013年には、国土地理院と共同でかぐやのデータをもとに月の赤色立体地図を作成し、朝日新聞に掲載されて大きな反響を呼んだのも記憶に新しい。国土地理院ではのべ100万ヒットを記録した。
赤色立体地図画像は、理科教室の口絵、川の博物館の展示、伊豆半島ジオパーク霧島ジオパークなどにも広がりを見せている。

貞観津波のこと(門脇中学校PTA会報原稿) 千葉達朗 

貞観津波のこと 千葉達朗 
■はじめに
 私は、昭和三十一年生まれの門中の先輩です。仕事は、日本中の火山へ調査に出かけ、地形や地質の調査をして、防災マップを作ったりしています。石巻で生まれ育ち、門小、門中、石高とすすみ、十八歳でふるさとを離れ、あっというまに三十八年が過ぎましました。

■門中のおもいで
 当時の門中はマンモス校で釜小と門小の卒業生がみんなここに来ていたから、四十五人学級で学年六クラスはありましました。入学当時、学校中で一番背が低かったのですが、授業はとても面白かったです。門中では生徒会長をしていましました。ちょうど大阪で万博があった頃で、柏陵祭も、大いに盛り上がり、学年ごとに、石巻・東北・世界とテーマを決め、クラス対抗で調べて展示することになりました。大使館に連絡を入れて大量の資料を展示しましたクラスがあったり、雲雀野海岸の水を汲んでビーカーに並べて公害反対を訴えたクラスもありました。市役所から門中の生徒がたくさん来て、質問攻めにするので、仕事に差し支えるという苦情が来たりするほどでした。バレーボールに打ち込んでいましましたが、球拾いをしながら、溝に砂を落としてはダムを作り、決壊する様子を飽かず眺めたりしていたことを覚えています。地図好きが高じて、大学で地形や地質を学び、今はアジア航測という会社で仕事をし、大学で授業もしています。

■貞観津波
 石巻は、これまで大津波が来たことはないと、思っていた人が多かったようです。災害は忘れた頃にやってくるということわざがあります。これは、「大きな災害は、めったに起こらないが、繰り返し発生するから、油断しないで備えよ」という意味です。石巻が、前の大津波のことを忘れてしまったわけではありません。石巻は、江戸時代に、人工的に開削された北上川の河口にできた新しい町で、たまたま、これまで大津波の被害がなかっただけなのです。そこで、石巻ができる前、まだ文字の記録がなかった頃に、大津波が来たかどうかを調べる地質調査が行われました。2005年、石巻のあちこちで穴を掘って地層を調べたのです。その結果、水田の黒い泥の下、数十センチの深さから、相次いで灰色の砂層が発見されました。この砂には、海の微生物の殻の破片が多く含まれていたので、津波によって運ばれたものと考えられました。また、この砂が堆積した時代は、約一〇〇〇年前の十和田火山噴火の火山灰の直下にあったので、その直前だということもわかったのです。これは、多賀城の貞観津波の古文書記録とぴったり一致します。この、津波堆積物が見つかったのは、海岸から蛇田のイオンのすぐ西までです。石巻にも大津波が来ていたという物的証拠が見つかったのです。
 正月、帰省したときに、母親に「大津波が、石巻地方にも到達していたことがわかった。でも、いまから約千年前の平安時代。もしも、近いうちにそういうことがあったとしても、いまは、堤防もあるから、それほど心配はないだろう」と、話をしました。大地震というものは、めったに起きない。千年に一回くらいの確率で起こる地震が、明日起きるという可能性は、非常に低いと思ったのです。でも、大津波が来たら、石巻は危ないところがたくさんある、と胸騒ぎのようなものを感じ、帰省するたびに写真を撮っていました(写真1)。
石巻市内を流れる旧北上川は、全国でも珍しい堤防のない一級河川です。川沿いの岸壁に寄り添うように市街地があるという状況は、江戸時代のままです。これまでも一九六〇年のチリ地震津波や高潮や洪水のたびに、水が上がったのですが、我慢してきたのです。防災のために川沿いに堤防を作ろうという計画には、石巻らしさがなくなると、反対の声が多かったのです。

■大地震と大津波
二〇一一年三月一一日、マグニチュード9.0の東日本太平洋沖地震が発生しました。直後に発生しました大津波により、二万人もの方が犠牲となってしまい、大変悲しく残念です。石巻も大きな被害を受けましました。地震が発生したとき、わたしは、勤務時間中で、会社にいました。大きく揺られながら、テレビニュースを見ると、多賀城石巻が大津波で襲われているシーンでした。「しまった、貞観津波の再来は、今日だったのか。」と、ただ、自分の不明を恥じいるしかありませんでしました。みんな、油断していたのです。石巻で生まれ育ち、いま防災の仕事に携わる人間として、故郷のために何かしなければいけないという、使命感を強く感じました。

■テレビ出演
 それから一年半後、私は、TBSの「夢の扉+」という番組の取材で、日和山にいました。石巻のレーザー計測をするためです。数年前に発明した「赤色立体地図」という地形表現手法は、最新の航空レーザー計測の表現に最適で、引っ張りだこです。赤色立体地図は一枚だけで、自然な立体感があるので、津波の時に逃げるべき高台の位置がわかりやすいのです。これが、私の子供のころからの夢を実現したものだ、というストーリーで三〇分番組を作りたいというのです。番組の取材で、実際に計測もできるということで、ぜひ石巻をと希望し、実現したのです。

日和山
 日和山から見る海の色はいつもと変わらないのですが、手前に見える住宅地はすっかり流されてしまいました。地盤も低くなったようです。はたして、全体が低くなったのか、どのくらい低くなったのかの調査、石巻の復旧・復興を考えるためには、航空レーザー計測という測量が有効です。この方法は、上空を飛行するセスナ機から真下にレーザー光線を発射し、往復に要する時間から、地面との距離を精密に測定する方法ですその結果をわかりやすくするのが赤色立体地図で、私が二〇〇二年に発明した方法なのです。計測結果をもとに、石巻の赤色立体地図を作成しました。そこに浮かび上がったのは、よく知っている石巻の微地形でした。津波による被害の大きさが、地形の微妙な凹凸でかなり異なることがよく判ります。

■赤色立体地図
 中央部にある赤くてじゃがいものような形をしたのが、日和山丘陵。南東の隅にあるのが一番高い日和山です。北側の高まりは羽黒山。赤色立体地図では、学校の校庭の長方形がよく判ります。門中と石中が並んでいるのですぐに見つかるでしょう。いつも通っている通学路を探してみましょう。

■最後に
 できれば一度、後輩のみなさんに、石巻の地形や防災の話をしたいとおもいます。一〇〇〇年に一回の大津波に会うなんて、理不尽です。時に理不尽なことも、起こるのが人生です。この苦難を乗り越えたという経験は、自信となり人生においてかならず役に立つと思います。中学生のお財布の中には、時間という財産がたくさん入っています。その財産で何を買ってどう使うのかはあなたの自由です。自分を何者かに変えることだってできるし、何かを作ることもできる。おとなの常識に怖気つくことなく、しかし謙虚に自分の気持ちに正直にやるべきです。新しいものを作るのはあなたの役目で、その種は自分の中にあるのです。がんばってください。

石巻の微地形を測る(高校同窓会誌原稿)

tchiba2012-12-28

2011年3月11日、M9.0の東日本太平洋沖地震が発生した。石巻地方は、30年以内に宮城県沖地震の発生する確率は99%と予想されていたので、防災対策は万全のはずだった。しかし、この想定地震の規模はわずかM7.6であったため、想定以上の大地震と大津波に襲われた。石巻では多くの方が犠牲になった。まさに痛恨の極みである。
石巻は、江戸時代に、人工的に開削された北上川の河口にできた町で、海と川の交通の要衝として発展してきた。平安時代津波の記録が残る多賀城と違って、こんな規模の津波は、石巻にとっては初体験だったのだ。
しかし、実はこの平安時代の「貞観津波」が、石巻地方にも到達していたことが、最近わかってきていた。それは、水田の黒土の下から薄い砂層が相次いで見つかったのだ。この砂層は、十和田火山の約1000年前の噴火による火山灰の直下にあり、海に棲む微生物の化石を含むので、津波堆積物に間違いないという。このことは、2007年に学会の会場で聞いた。見慣れた石巻平野の地図の上に、津波堆積物が発見されたという赤丸印が、海岸から蛇田のイオンのすぐ西まで並んでいた。正直、驚いた。発生する確率は、せいぜい1000年に一回くらいだ。
「この辺にも大津波が来ていたことがわかった。でも、平安時代に一回だけあった。まあ、それほど心配はない」、と、蛇田に住む母に話をした。地震の発生確率は、大規模なものほど小さい。グーテンベルグ・リヒター則に従う。明日という可能性は、かなり低い。
3月11日、地震が発生した瞬間、小田急線の新百合ヶ丘近くのビルの八階にいた。大きく揺られながら、「しまった、貞観津波の再来は、今日だったのか。」と、不明を恥じいるしかなかった。みんな、油断していたのだ。
石巻市内を流れる旧北上川は、全国唯一の無堤一級河川である。川沿いの岸壁に寄り添うように市街地があるという構造は、江戸時代のままである。これまでも、1960年のチリ地震津波や高潮や洪水のたびに、水が上がったが、それを甘受してきた。まさに、日本のベネチアである。防災のために堤防を作るという計画には、反対の声が多かったのだ。
 わたしの母校である門脇小学校は、三階建ての鉄筋コンクリートの校舎で、敷地も周囲より数m高い。これまで、ここまで津波がきたことはない。津波の際の避難所には指定されていなかったが、多くの人が門小に集まったのは、自然なことだった。そして、その津波はやってきた。燃え上がる木造家屋が校舎にぶつかり延焼、校庭の車のせいもあったのか、全焼してしまった。地震から、1ヶ月後、門小の校庭から南をみると一面の焼け野原であった。ここで生まれ育ち、いま防災の仕事に携わる人間として、石巻のために何かしなければいけないという、使命感のようなものを強く感じた。
それから一年半後、私は、TBSの「夢の扉+」という番組の取材で、日和山にいた。石巻のレーザー計測をするためである。数年前に発明した「赤色立体地図」という地形表現手法は、最新の航空レーザー計測の表現に最適で、引っ張りだこだ。これが、私の子供のころからの夢を実現したものだ、というストーリーで三〇分番組を作りたいというのだ。どこかで実際に計測もできるということだったので、ぜひ石巻を、と希望し実現したのだ。
石高時代の三年間、バレーボールに明け暮れる毎日だったが、実は、2万5千分の一の地形図の等高線を愛してやまない高校生でもあった。九枚の地図を貼りあわせ、南光町の十条製紙の社宅の2階に昇る階段の広い壁を覆い尽くしたとき、自分が鳥になったような気がした。ラインマーカーで微地形を塗り分け、旧河道や砂丘をみつけては感動する高校生だった。それが高じて、地形や地質を学び、今はアジア航測という会社に勤務している。
今回の津波による被害と、微地形との関係。その後の地形の変化。南浜町は、北上川沿いは今どうなっているのか。駅裏は・・。今回の計測で、それらの詳細を明らかにできた(赤色立体地図)。この画像は、希望者には提供可能なので、連絡をいただければと思う。

大西洋中央海嶺

理科教室2013年1月号 口絵解説
(1)赤色体地図のみかた
(2)有珠山
(3)浅間山
(4)大西洋
大西洋中央海嶺(Mid-Atlantic Ridge)は、北極海からアイスランドアゾレス諸島を経て、
大西洋南部で南西インド洋海嶺に繋がる海底山脈である。
新たな海底地殻を形成している場所であり、
リフト谷が中央海嶺軸に沿って伸びる。
中央海嶺を横切るトランスフォーム断層が無数に存在する
(5)太平洋
(6)日本近海
   海溝、島弧、火山列 火山のある場所3種類
(7)火星
■台地の地形
(8)東京山の手
(9)相模原台地
   相模原面約6万年前の東京軽石流を載せる河岸段丘 箱根火山
   ダイラボッチ 富士山を持ち上げるほどの大男 足跡
   転々と巨大な窪地 周囲より5m程度低い 大雨の際に水がたまる
   身近な地形の成因をしらべたら火山と関連した地形であった

赤色立体地図は富士山の青木ヶ原樹海の調査から生まれた

2002年の夏、青木ヶ原樹海の調査の直前、わたしは、レーザ計測部門から届いたいた、1m等高線図の束(1/5000で50枚以上)を前に、途方に暮れていた。数日間の判読作業の結果、樹海の地形は想像していた以上に複雑で凹凸に富んでいることがわかった。火口以外にも溶岩トンネルや溶岩皺のつくる窪地が無数にあり、1mDEMから作成した等高線は、伸びきったゴムバンドのように見えた。また、等高線のそれぞれに高度は付記されていなかった。これでは、凹凸すらわからない。新発見はもとより、現在地の確認もおぼつかないから、ちゃんと帰れるかどうかも怪しい。新技術を利用した成果へのプレッシャーと、遭難への恐怖にかられながら、追い込まれていた。
腹をくくって、自分の欲しいものは自分で作ることにした。レーザ計測部門から膨大なDEMデータを取り寄せ、等高線以外の地形表現を試みることにした。従来の陰影段彩図では複雑すぎてよくわからなかった。そこで、さまざまな地形フィルタ画像を片っ端から作成し、カラー合成を繰り返した。その総当たりの中から、最後に見つけ出された、最も不気味な画像が、のちの「赤色立体地図」であった。原理は、それほど難しいものではなく、まさにコロンブスの卵であった。陰影図のような方向依存性もなく、回転させても立体感は崩れないし、さまざまなスケールでみても違和感は少なかった。これはいけそうだと、マニュアルを作り数名で分担して、3日間かけて50枚の赤色立体地図を作成した。現地調査では、樹海の中でも周囲を10mほど見通せれば、現在地を推定できるほどの精度があった。その結果、数か月間の調査で非常に多くの新発見をし、成果を上げることができた。

渋谷の坂

tchiba2012-09-10

渋谷の地形について文章を書くことになったので、ちょっと現地調査に行ってきた。ずいぶん久しぶりの渋谷。東急ハンズができたばかりのころ、ビルの中の階段フロアとか、地下2階に出口があるんだぜとか、澁谷の地形に合わせた巧みな作りに驚いたときのことが思い出される。いかんせん、人が沢山で、見通しがきかないほど。
道玄坂宮益坂は有名だが、渋谷駅に続く道はみな下り坂。帰り道を急ぐときには都合がよい。水の流れと同じように人の流れに身を任せればよいのだから。

夢の扉+に出演します

TBS夢の扉+

8月13日から取材を受けていますが、かなりのハイペースで,
石巻、富士山、伊豆大島の取材をこなし、会社での取材も4回を越えています

昨日から、予告編の動画も見えるようになりましたので
お知らせします

http://www.tbs.co.jp/yumetobi-plus/index-j.html